つくる会を正す会
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もう一つの「つくる会」顛末記(1)ー「つくる会」内部対立の意味ー

新田均氏のブログエントリhttp://tadasukai.blog58.fc2.com/blog-date-20060510.htmlの検討


一、「つくる」会内部対立の意味ー単なる「内紛」ではなかった
一、「つくる」会内部対立の意味ー中二階組による乗っ取り計画だった

 これから私は、「つくる」会の「内紛」がどのようにして起こり、拡大していったのかを説明していきたいと思っているわけですが、その経過説明の前に、対立の構図の大枠を説明しておいた方が読者には分かり安いのではないかと思います。余り単純化してしまうと誤解を受ける恐れもあるのですが、思いきって図式化すれば、今回の一連の騒動は、人的には、西尾・藤岡vs八木・新田等の対立に、中間派(様子見派、私益重視派)が絡んでのことだったと言えると思います。



八木・新田等という区分けは納得できるにしても、西尾・藤岡と一括りにまとめるには無理があるのではないか。
この二人が思想的に同一であるということは考えにくいし、思想を異にする人間と組むということは、藤岡氏はともかく西尾氏の性格上あり得ない。
そんなに器用な世渡りができるのであれば、西尾氏のポジションは今とは少し変わっているだろうし、今までのさまざまな論争などは起こっていない。

1.「つくる」会至上主義路線vs他団体との協調路線
 西尾・藤岡両氏は、西尾氏の「神社右翼、宗教右翼」という言葉に象徴されるように、これまで「つくる」会の運動を陰で、あるいは下で支えてくれた他団体に対する感謝の念がありません。ただ、利用しようと思っているだけです。したがって、人事の問題などで「他団体の考えも考慮しなければ」などと言うと、途端に「それは介入だ、圧力だ」と言い出すわけです。その対象には、教科書を出してくれている扶桑社なども含まれているのですが、そこの編集者が気に入らないと「あいつを外せ」などと言って、自分たちが他団体の人事に介入するのは平気なのです。そんなわけですから、新たな団体から協力の申し出を受けるのはいつも八木氏で、しかもその時には「西尾・藤岡とは一緒にやりたくありません」と言われて困っていました。


さて、これについては検証のしようがない。
ただし、これだけは言える。
まともな教科書を作るのに「作る会」という団体が必要であるということ自体がおかしい、また、そういう情けない現状を甘受したとして、「作る」のと採択のための「運動」は厳密に分けたほうが一般国民の心理的抵抗はなくなるのではないか。
「偏向」した教科書に「否」を突きつけるのであれば、
人事の問題などで「他団体の考えも考慮しなければ」
という問いかけに対し、明確な拒否の意を示すというのは極めて自然な反応であろう。
カネは出すけど口も出す
などという態度の団体がもしあるのだとすれば、そういう団体は敬して遠ざけるべきではないのか。

先に引用したようなことを平気で公に向かって発言できるというのは、失礼ながら私からすれば信じがたい神経の持ち主といわざるを得ない。

2.忘恩派vs先人尊重派
 御存じのように教科書改善運動は、「つくる会」が嚆矢だったわけではありません。それ以前に長い先人の努力の歴史があります。教科書に限っても、「日本を守る国民会議」(現「日本会議」)作成の高校用教科書「新編日本史」(「最新日本史」)がありました。この「新編日本史」での経験が様々な形で伝えられたことによって「つくる会」の運動は発展できたのです。ところが、西尾・藤岡氏は、すべて自分たちの力で達成したことだと思い上がってしまい、先輩たちを厚く遇することはしませんでした。西尾氏にいたっては「新編日本史」の悪口を方々で吹聴していました。それでも、「新編日本史」を作成した人々、あるいは、その普及のために努力し、今は「つくる会」の会員になっている人々は、日本のために「つくる会」運動が成功して欲しいという思いで黙って我慢していました。実は私もその一人で、「つくる会」の立ち上げの時に、故坂本多加雄氏に日本会議の関係者を紹介したことがあります。しかし、その思いやりが仇になってしまい、益々両氏を増長させ、「万能感」すらも与えてしまったように思います。
 ちなみに、藤岡氏は今回の問題で日本会議に仲介を頼みながら、後から「日本会議は『つくる会』を支店扱いしている」などと恩知らずな言葉を吐いています。


まず、忘恩派vs先人尊重派というのが、我々一般人にはピンと来ない。
「日本会議」という組織自体がよく分からないのであるが、「新編日本史」なら知っている。それほど優れた教科書であったという記憶はない。
なにより、何者にも囚われず全くの白紙から我が国の歴史を見直そう、というところに魅力があったことに間違いはない。
先人がいたとして、それを敬することに異論は唱えないが、それに縛られてしまうのであれば本末転倒である。新しく会を立ち上げる意味などない。
「日本会議」というちょっと得体の知れない(少なくとも一般国民からすれば)組織の色を薄めるため、党派色を隠すために新しい団体を作ったのだとでも言いたいのであろうか、そうであるならば全く何をかいわんやである。
実は私もその一人で、「つくる会」の立ち上げの時に、故坂本多加雄氏に日本会議の関係者を紹介したことがあります
とあるが、その時に坂本先生はどういった反応を示されたのであろうか。
非常に興味のあるところだ。

3.教科書至上主義派vs国益重視派
 「つくる会」の「内紛」が展開されていた昨年の秋から今年の四月までの国家的な課題は決して「教科書問題」ではありませんでした。それは「皇位継承問題」であり、「教育基本法改正問題」でした。それに対応していたのは、八木氏であり、私たちでした。ところが、「つくる会」至上主義派は、その時に会の内紛を演出して、私たちの足を引っ張り、会務怠慢と責めたてたのです。そこに国益の視点はありません。日本の保守運動全体の中に、教科書改善運動をどのように位置づけるのか。この視点を欠いた西尾・藤岡両氏が率いる会では、これまではともかく、これからは他の保守運動の足を引っ張ることになると思います(すでに「日本会議」批判にそれは現れていますが) 。


さて、教科書至上主義派という分類の中に、西尾氏が入るものであろうか。
少なくとも私の目には西尾氏は教科書、あるいは「作る会」との関わりを薄めていきたかったように思える。事実、昨年におけるさまざまな「作る会」の催しの演者の中に西尾氏の名前はなかった。

4.怨念派vs感謝派
 「新しい歴史教科書」は、確かに、これまでにない愛国的・保守的な教科書で、新しい地平を切り開いた功績はいくら強調しても強調しすぎることはないでしょう。しかし、そこには欠点もありました。それは左翼史観に対する反感や怨念が強すぎるということです。そのエネルギーが運動を押し進める原動力として大変役立ったことも確かですが、一定以上の採択を確保しようとする際には、教科書に漂う負の感情が敬遠されることになってしまいました。そこで、改訂にあたって扶桑社側は、もっと大らかに日本への誇りや感謝が伝わる記述に替えようと努力したといいます。ところが、それに西尾氏が強く反発し、後になって藤岡氏が西尾氏の機嫌をとるために同調したのです。ここに今回の騒動の発端があるのですが、


また、ここで勝手なレッテルが貼られている。
この文章の筆者は相当にエキセントリックな方なのかもしれない。つとめて冷静に語ろうとしながらも、破邪顕正、忘恩、怨念と、あまり穏やかでは単語や言い回しが散見される。
ただし、頭は相当に良いのかもしれない。というよりも、閲覧者の読解力を意識して、文章の格調の高さを求めず、難しいレトリックも使わずに、うまく説得ないしは軽い洗脳をもできるような計算された組み立て方となっている。
真実の中に巧妙に欺瞞を埋め込まれると、しかも、それがこのように極めて平易な文章の中にあらわされると、かなり効果的であろう。
まるで、弁護士か優れた勧誘員の言い回しのようだ。

新しい歴史教科書も国民の歴史も持っているが、私にはどこにも怨念など見受けられないし、優れた本でなければあれだけのベストセラーにはならないだろう。
あれらの本が、自分たちの「運動」あるいは「まとまった購入」により、ベストセラーになったのだという言は、思い上がりもはなはだしいし、それは著者のみならず、それを見極めて購入した我々一般国民の見識をも侮辱していることになる。
どうして、そこに気付かないのだろう。それに気付かないうちは、何をやっても国民の心は捉えられないだろうし、支持も得られない。

5.同志切り捨て派vs思いやり派
コンピュータソフトの問題で宮崎氏は解任されたのだという。
中国詣でや、昔の上下関係や所属団体でのことをまったく関係のない組織に持ち込んでの、組織の序列をバカにした言動の故ではなかったのか。
これは、確認作業をしてみることにする。

6.事務蔑視派vs事務重視派
 「つくる会」の歴史を振り返ってみると、事務局長という存在は、その時々の西尾氏や藤岡氏の思惑次第で、さまざまな難癖をつけられて更迭されるのが常で、その際には、正確な事実検証はなかったようです。「たかだか使用人の問題で会がこじれていいのか」という藤岡派評議員の発言や、事務局員を問いつめた藤岡氏自身の文書に象徴されるように、彼らの心底には事務に対する蔑視があります。自分たちの代わりはいないが、事務局長の代わりも、事務局員の代わりもいくらでもいるというわけです。西尾・藤岡両氏は、はじめ「宮崎氏は事務局員から嫌われている」と言っていたのですが、実は反対で事務局員の心は宮崎氏の側にあり、自分たちの方が嫌われていることが露になると、今度は「宮崎は事務局をしっかり把握していない」と非難しはじめました。
 私たちは、会の中で一番弱い立場の事務局員の側にたって、彼らの思いを汲み取ろうとして、西尾・藤岡氏とはげしく対立することになっていったのです。


はて、西尾氏は事務員さんに嫌われていたのだろうか。これも分からないし本人の言がないことには確認のしようがない。

7.地方無視派vs地方尊重派
 西尾・藤岡両氏、それに結局は彼らを応援した理事、その中に地方支部出身者はいませんし、地方のこと、さらには、多額寄付者のことを分かっている人はいません。ですから、勝手に支部を改造できると思ったり、多額の寄付を集めている八木氏や宮崎氏を切ろうなどと言えるのです。


これもまた、作る会の会員で無い私にはわからない。
ただ、うまい対立の構図の作り方であるなとは思う。

8.私益派vs公益派
 西尾・藤岡両氏には、会のために自分を犠牲にするという精神はありません。常に、自分あっての「つくる会」なのです。ですから、自分がいない「つくる会」などなくてもいい、自分がいることによってどんなに「つくる会」が困ろうとも去る気はない、ということになるわけです。だから、自分たちの意見に従わない理事は「追い出そう」ということにもなるわけで、「つくる会」がこれまで何回も「内紛」を繰り返してきた原因の一つは、ここにあります。八木氏の「つくる会」辞任の弁にある「相手代わって主代わらず」という言葉の意味はここにあります。


内紛の原因は、ひとえに藤岡氏なのだと思っていた。これも小林よしのり氏からの情報なので一方的であるとのそしりは免れないが。
ただ、草創期のメンバーでありながら、いつまでたっても「副」会長の位置にあるというのは、そういうことなのだと私は勝手に解釈していた。

さまざまにあげつらっていくのも疲れるものだ。

この辺りで一旦まとめにしよう。

今回の件、傍から見ていた分にはこのように見えた。

まず、西尾氏はつくる会から離れたがっていた。
しかし、つくる会が特定勢力、しかもちょっとばかりエキセントリックな人たちが組んで、会を私物化しようとたくらんだ。
権謀術数という面では、藤岡氏も引けをとるものではない。
そこで、西尾氏が泣きながら膿を出すために荒療治に出た。

どうしてそのように判断したかをここに書ける範囲で書いてみよう。
単純に、つくる会にしがみついたところで、西尾氏には何のメリットもないし、今回の件はマイナスこそあれ、プラスになるところがない。
以下に簡単に、各人のビジネスモデルを列挙してみる
(後日に続く)











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コメント
この記事へのコメント
解説及び結論が強引で唐突
いくつかの解説及び結論が強引で唐突な感じがしました。
西尾先生のブログから多くの情報を得ておられるのでしょうが、もっと丹念に双方を比較検討する努力が必要なのではないでしょうか。
2006/05/25(木) 02:30:06 | URL | 誰につこうか検討中 #-[ 編集]
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